Sermon法 話

牛に引かれて善光寺参り


 「牛に引かれて善光寺参り」という慣用句がありますね。
他人の誘いによって、良い方に導かれるという意味ですが、どうしてこの慣用句が出来たのかご紹介しましょう。

昔、長野県の小諸に欲深なおばあさんが住んでいました。お坊さんが托鉢に来ると、「うちには坊さんに布施するものは何もない!」と追い返してしまいます。近くの観音堂のお参りに誘われてもお賽銭を上げるのがもったいなくて断ってしまいます。

ある晴れた日、川で洗濯をして布を干しておりますと、一頭の牛が現れてその布を角に引っかけて逃げて行きます。欲深いおばあさんですから、布一枚でも惜しくてしょうがない。慌てて牛の後を追いかけます。追いつきそうになると逃げられる、見失いそうになるとひょいと姿を見せるで、夢中で追いかけているうちに夜になってしまいます。 あるお寺まで来たところでついに見失ってしまいました。翌朝お坊様にここはどこかと尋ねますと、善光寺というではありませんか。天下の善光寺に導かれたことで、さすがのおばあさんも「これは私の欲深い心を直すために仏様が導いてくださったのだ」と、善光寺如来様におのれの強欲を懺悔して感謝の祈りを捧げました。

家に帰ってから、これまでお参りしたことのなかった観音堂にお参りすると、観音様の首にあの布がかかっているではありませんか。
この観音様が自分の悪い心を直すために牛に姿を変えて現れてくださったことが分かり、その後おばあさんは観音堂の堂守となって一生を過ごしたということです。

このおばあさん、単なるケチではなくドが付くケチだったので救われたのです。普通は布一枚だったらいいかと途中で諦めるところを意地でも追っかけたおかげで、小諸から六十キロ近くある善光寺までたどり着けたのですから。24時間テレビのチャリティーランナーも務まりそうです。

仏のお慈悲の御手は全ての人に等しく差し伸べられていることを教えてくださるお話しです。

(福井新聞「心のしおり」欄に掲載分を手直ししたものです)


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