Sermon法 話

宇宙代表の私


平成30年のNHKの大河ドラマ「西郷どん」の薩長同盟の回を見ていましたら、印象に残ったシーンがありました。

西郷さんは薩摩と長州が手を組むように主張しますが、長州の桂小五郎さんは薩摩に対しての恨みの念があって、ここで薩摩と手を組めば長州藩が助かると分かっていても首を縦に振ろうとしません。

その時に西郷さんは「俺達は長州人でも薩摩人でもなか、日本の民なんじゃ」と言って、もっと大きな視点から見るように諭します。
それでもうんと言わない桂さんに、長州代表で一緒に来ていた伊藤博文さんが一枚の写真を出して見せます。その写真にはイギリスに留学していた薩摩と長州の若者が一緒に写っています。イギリスではもう薩摩と長州の若者が協力し合っている。この写真が決め手となって西郷さんと桂さんが握手をして薩長同盟成立というシーンでした。

私たちは家庭内では、苗字を付けて呼ぶことはありませんね。それが一旦家庭から出ると、町内では家庭代表になり、西郷さんちのお父さんになります。他の県に旅行に行って、「鹿児島からです」言えば、鹿児島県を代表した人になります。日本から出れば日本代表になり、その時の印象が相手にとって良ければ、日本人はいい人になるし、悪ければ日本人はダメだとなります。外に出れば出るほど私に含まれる範囲も大きくなっていくのです。だから、薩摩と長州の若者は日本から出た途端に、薩摩や長州という枠が外れ、日本人として協力しあえたのです。

枠をどんどん広げて宇宙代表まで行けば、宇宙が私の中に含まれて対立するものが全て無くなってしまいます。宇宙の中に私がいるのではなく、私の中に宇宙がある、そこまで行ったらすごいことです。

小さな枠にとらわれずに 大きな視点を持つことが大事ですね。

(福井新聞「心のしおり」欄に掲載分を手直ししたものです)


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