Sermon法 話

ちりを払い垢を除かん


日本の学校では児童生徒が掃除をするのは当たり前ですが、海外では事情が違う国もあるようです。

例えば、アメリカでは多くの小学校で子供が掃除をすることはありません。校舎の掃除をする係の人がちゃんとおり、もし子供に掃除をさせると保護者から「 うちの子供を掃除人にするつもりはない」と文句が来るし、掃除の係の人からは「私達の仕事を奪うのか」と抗議されるそうです。

仏教では掃除は作務や下座行と呼ばれ大切な修行の一つです。中には掃除で悟りを開いたお釈迦様のお弟子さんもいました。 それはチューラパンタカというお弟子さんでした。兄弟でお釈迦様の弟子になりましたが、お兄さんは聡明なのに対し、チューラパンタカさんはお釈迦様の教えられる四句の偈文も覚えられません。お兄さんから「弟子を辞めてしまえ」と叱られ、情けなくてさめざめと泣いていました。お釈迦様がそれをご覧になり、「自分の愚かさを知っている者は真の知恵者である。自分は賢いと思う者の方がどんなにか愚かであろうか。これからお前はとにかく掃き掃除をしなさい。掃くときに〈ちりを払い垢を除かん〉とだけ唱えなさい」と教えられました。

その通りただひたすらに「ちりを払い垢を除かん」と掃き掃除を続けていると、ある日はたと、「ああ、ちりを払い垢を除かんとは、私の心の中のちりを払い垢を除くことなのだ」と気づきました。そのことをお釈迦様に申し上げると、お釈迦様はチューラパンタカが悟りを開いたと認められました。

日常的な掃除も心掛け次第で立派な修行になるのです。私は教育者であった森信三さんの「足元のごみ一つ拾えない人に何ができましょうか。足元のごみを拾うことは下座行の第一歩です。」という言葉が好きです。

ちなみに、天才バカボンに出てくるレレレのおじさんは彼がモデルと言われています。

(福井新聞「心のしおり」欄に掲載分を手直ししたものです)



一覧へ戻る