Sermon法 話

ぼたもちかおはぎか


お彼岸のお供えにはおはぎが欠かせませんが、おはぎは異名が多いことでも知られます。  

一般的に知られているのは春のお彼岸には「ぼたもち」、秋のお彼岸には「おはぎ」というものですね。夏と冬の呼び名もちゃんとあって、夏には「夜船(よふね)」、冬には「北窓(きたまど)」と言います。  

おはぎは餅と違って臼と杵でペッタンペッタン搗くものではありません。いつ搗いたのか分からないのです。夜の船は真っ暗でいつ港に着いたのか分からないので「夜船」です。  
北の窓からはお月様が見えません。月知らず→搗き知らずということで「北窓」となります。ほとんど連想ゲームですね。音がしないので搗いたのが隣に分からないから「となりしらず」、お米を半分潰すので「はんごろし」なんていう物騒な呼び名もあります。  

しかし、どんな呼び名で呼ばれようとも、お米を半分潰したお餅にあんこをまぶした食べ物であることには変わりありません。そして何より食べてみれば、私が「ぼたもち」というものも、Aさんが「おはぎ」というものも、Bさんが「夜船」というものも一緒な味だということが分かります。  

何かに似ていませんか?  

悟りの世界というのはどの宗教でも結局は同じです。そして、目指すところは自分の心の平安と世の中の安穏であるはずです。それをこの宗派でないとダメと言ったり、宗教が争いの種になるというのは全くおかしいことです。  
同じ味の食べ物を食べもしないで、これはぼたもちであっておはぎという呼び名は絶対に認めないというようなものです。一つの呼び名にこだわるところからは排除、争いが起こります。実際に自分で味わって呼び名が違うだけで本質は同じであることが分かれば、協調、融和が生まれます。  

どうせ住むなら協調と融和の世界に住みたいですよね。

(福井新聞「心のしおり」欄に掲載分を手直ししたものです)


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