弘法大師ご和讃の一節に「誓いは龍華(りゅうげ)の開くまで 忍土(にんど)を照らす遍照尊」というのがあります。
「誓い」はお大師様の「私の衆生済度の願いは尽きることがない」とのご誓願を表します。龍華というのはお釈迦様の後、五十六億七千万年後に弥勒(みろく)菩薩がこの世に現れて、龍華樹という枝の形が龍に似ている木の下で悟りを開いて仏となり、三回の説法をして人々を救うことになっていますが、その龍華樹の花のことです。ですので、五十六億七千万年後までお大師様のご誓願は続くということです。いやー、果てしないですね。
現在は無仏の世界と言われます。お釈迦様が亡くなられた後、弥勒菩薩が仏になるまで現世に生身の仏様はいないのです。神も仏もあるものか状態で困ったことですが、その間は地蔵菩薩が地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道の衆生を救い(墓地や火葬場の入口にお地蔵さんが六体並んでいることがありますが、これを表しています)、観音菩薩は身を三十三に変じて私たちを救ってくださいます。お大師様も高野山の奥の院に入定留身(にゅうじょうるしん)され、私たちのためにお働きになっています。
太陽の寿命は約百億年らしいです。太陽が誕生してから約四十六億年経っているので、あと五十四億年くらいで太陽も輝きを失います。その前に太陽はどんどん膨張していくので、地球はその熱と光で干上がってしまい、生命が生きていける環境ではなくなります。
ということは、弥勒菩薩は地球とは違うところに出現されることになりますね。確かめようがないですが…。
忍土とは娑婆(しゃば)すなわちこの世のこと。娑婆は昔のインドの言葉の「サハー」に漢字の音を当てはめただけなので、漢字には意味はありません。この世は耐え忍ぶ場所なので、意訳すると忍土となります。遍照尊はお大師様のこと。お大師様は遠い未来に弥勒菩薩が現れるまで衆生済度を続け、この世を照らし続けてくださるのです。
(福井新聞「心のしおり」欄に掲載されたものです)