Sermon法 話

ざんげざんげ


私たちがお経をあげる時、まず「開経偈(かいきょうげ)」と「懺悔文(さんげもん)」(仏教読みでは「さんげ」と言って濁りません)を唱えます。

懴悔文は「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従心語意之所生 一切我今皆懺悔」で、その大意は「私がずっと昔より行ってきた諸々の悪業は皆、むさぼりの心と怒りと無知が原因です。身と口と心によって犯した一切の罪障を今すべて懺悔します。」となります。

私は最近この懺悔文の大切さをつくづく感じます。

私たちは知ると知らざるとにかかわらず、色んな罪を犯しています。「いやいや、私はそんな悪いことなんてしてませんよ」という人でも、日々の食事の中で多くの命を犠牲にして自分の命を保っています。
歩いているうちに蟻や小さな生き物を踏みつぶしているかもしれません。蚊やゴキブリが出ようものなら、親の仇とばかりにどこまでも追いかけてつぶすでしょう。

皆さんもよくご存知の江戸時代の禅僧、良寛さんは、夏に蚊帳を吊って寝る時に、片足だけ蚊帳の外に出して寝たそうです。「蚊帳に全身入ってしまうと、蚊も血が吸えない、体中さされると私も困るから、片足で堪忍してもらおう」という思いで片足を出していたというのです。良寛さんの生きとし生けるものに対する慈愛の念には心を打たれます。私はさすがに蚊に献血できないので、「ごめんなさい」と念じてからつぶしています。

個人としての罪もそうですが、私が感じるのは人類全体としての罪です。戦争や紛争で無益な殺生と破壊を繰り返して止むことがない。人間の経済活動や開発の結果、気候の変化が激しくなり、多くの動植物を絶滅に追い込んでいる。

日本では今年6月下旬の異常高温。ヨーロッパでもこの夏は高温と雨不足が続きました。パキスタンでは国土の三分の一が浸水被害を被るような大雨となりました。誰もが気象の変化が極端になってきていると感じているでしょう。

それもこれも私たちに原因があるとすると、申し訳なくて懺悔するしかありません。せめて、自ら進んで罪を重ねていくような行いはしないようにと心がけたいものです。

(福井新聞「心のしおり」欄に掲載されたものに加筆しました)


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