Sermon法 話

母からの最後のプレゼント


令和2年11月23日に日本スピリチュアルケアワーカー協会会長の山添正先生のオンライン研修を受講しました。
講題は「コロナと暮らし、ー死者からの“疎”と生者からの“疎”-」でした。

『コロナ禍の中では、闘病を支えられず病人に寄り添えない。看取ることもできず、最後の別れができない。時間があるのに感染予防のために面会も許されず、日本人こそ「いまわのきは」に密が必要であるのに、サヨナラのない別れとなり、それが遺族にトラウマを残すことになる。』といったことをお話しいただきました。その直後に自分自身が“疎”の別れを経験することになるとは…。

令和2年12月9日未明、母が急逝しました。母は長年日本舞踊を教えていました。11月29日に越前市市民文化祭があり、それにお弟子さん3人が出演し無事に終えることができました。コロナ対策でピリピリしていたこともあって気疲れしたのか、12月1日深夜にめまいと嘔吐で動けなくなり、救急車を呼んでそのまま入院しました。翌日から色々と検査をしましたが、特に悪いところも見つからず、体調も快復したので9日に退院する運びとなりました。前日8日午後に電話で迎えに行く時間などを決めました。私が出張すると母はたいていカレーを作って帰りを待っていてくれました。ですので、今度は私がカレーを作って母の帰りを待とうと、チキンカレーを作りました。準備万端です。

ところが、夕方にシャワーを浴びさせてもらったらまためまいの症状が出て、明日退院できなくなったと電話がかかってきました。「ゆっくり休ませてもらえばいいから」と電話を切りました。その1時間後、午後6時31分にまた電話があり、心細そうな声で涙声になっていたので不安になってきました。コロナの影響で面会が一切できないので、会いに行くこともできません。胸がざわざわして寝室に行く気にならず、心の中でどうかよくなりますようにと祈りながら、居間のこたつに入って横になりました。
9日未明、居間の固定電話が鳴りびっくりして飛び起きました。病院から容体が急変したのですぐに来てほしいとの電話でした。飛んで行って病室に入ると母は心臓マッサージを受けていました。昼の電話では退院できることを喜んでいたのに、なんでこんなことに、うそだろう!と、呆然として母の手を握ることしかできませんでした。そのまま母は旅立ってしまいました。 急性心不全という診断でした。

昨年はコロナの影響で3月以降の私の出張がすべてキャンセルになったので、母と過ごす時間がこの20年間で一番多い一年でした。密な時間を過ごした一年の最後の8日間が一度も会うことができず疎になってしまった。寂しかったであろう、心細かったであろう、手を握って「大丈夫」と伝えたかった。最期にそばについていてあげられなかったのは痛恨の極みです。会えない中での突然の別れがこんなに大きなダメージを与えるものだとは、想像を超えていました。
「サヨナラのない別れになり、それが遺族にトラウマを残す」、その通りです。コロナで亡くなった方はお骨になってからでないと会えないのですから、私の味わった悲嘆よりも何倍も大きなものになるでしょう。

振り返ってみると、魂のレベルでは自分の命がもう長くはないと分かっていたのではないかと思うことがいくつかあります。母は昨年満82歳だったのですが、初代住職である母の母親が数えの82歳で亡くなっているので、満と数えの違いはありますが、年初めから82という数字が気にかかっていたようでした。最後の電話でも「まんまんちゃんばあちゃん(母の母親のこと)とおんなじ82歳で死ぬんやろか」と涙声で言っていました。
秋になってこれまで参拝したことのなかった福井県内の寺社にしきりに行きたがり、10月から11月にかけて5回連れて行きました。自分でも「何でこんなにお参りしたいと思うんやろか?もう命がないんかな。」と冗談めかして言っていました。今となっては連れて行ってほんとによかったと思います。最後の思い出です。
これも秋になってからですが、30年ほどほったらかしてあったお琴を出してきて、弦を張り替えて毎日のように練習していました。昔自分が習ったことを振り返っているようでした。
ほかにもまだ2,3あります。

12月11日、お通夜の日の午後、私宛に荷物が届きました。母が入院中にテレビショッピングを見て注文してくれた冬用の高級肌着セットでした。入院して迷惑をかけたというので、冷え性で毎年しもやけになる私にプレゼントしてくれたのです。プレゼント用にラッピングしてあったところに母の気持ちが伝わってきました(写真がそれです)。亡くなってから届いた母からの最後のプレゼント。涙腺が完全に崩壊しました。

通夜の日に 届きし母のプレゼント 息子を思う あたたか肌着
ジャパネット 見て頼みたる 冬肌着 旅立つ母の ぬくもりまとう
                               
                                                                  感謝いっぱい

(福井新聞「心のしおり」欄に掲載分を手直ししたものです)


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