Sermon法 話

持たないこと

タイやスリランカなどの南方の仏教国の僧侶は、お釈迦様在世当時の生活様式を良く保っています。現在、日本の僧侶は一般の方と同じように家庭を持って生活をしている方が多いですが、南方仏教国の僧侶は本来の意味での出家です。

僧侶は227にも及ぶ戒律を守って集団生活をしています。行住坐臥の細部に至るまで規定があります。私は1991年5月にタイのバンコク市にある大理石寺院で得度して10ヶ月半、僧院生活を送ったのですが、初めは戒律に縛られてさぞかし窮屈な生活をしないといけないのだろうと思っていました。それが、実際に生活をしてみると意外や意外、とっても気持ちが楽だったのです。

持ち物は基本的に三種類の衣と托鉢に持っていく鉄鉢、座る時に敷く敷物、水を漉す布袋の6つだけです。これを比丘六物(びくろくもつ)と言います。住まいは寺の中にある僧院ですし、食べ物は毎朝の托鉢でいただきます。ですから、あれやこれやと所有する必要がないのです。仏道修行に専念できる環境が整っているので、修行以外の余計なことを考えなくて済みます。所有しないってことがこんなに楽なことなんだ、所有物が一つ増えるということは執着も一つ増えるということなんだ、と気づきました。  

今の私たちの生活には物があふれていますね。執着のもとに囲まれて生活しているようなものです。ですので、もっとすっきりした方がいいと「断捨離」ということも言われるようになりました。

無量寿経の中に「有田憂田 有宅憂宅(うでんうでん うたくうたく) 」という言葉が出てきます。田んぼがあれば田んぼのことが心配になり、家があれば家のことで心配が尽きないということです。その通りですね。なかなか難しいことですが、その執着を離れたところに自由自在の境地が待っています。

(福井新聞「心のしおり」欄に掲載分を手直ししたものです)


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