Sermon法 話

弘法大師千百年


「大師は弘法に奪われ、太閤は秀吉に奪わる」という格言があるように、「お大師様」というと弘法大師空海上人を指すことが多いですね。
大師号は高徳の僧侶が亡くなった後に、その徳を称えるために朝廷から贈られる賜号(しごう)です。

清和天皇の866年に天台宗の最澄様が「伝教大師」を、円仁様が「慈覚大師」を贈られたのが日本で初めての大師号です。

真言宗でも918年に宗祖空海上人に大師号をいただきたいとお願いしたのですがその時はいただけず、3年後、醍醐天皇に再度お願いをしました。そのころ、醍醐天皇がある夢をご覧になりました。それは・・・ぼろぼろになった衣を着た僧侶が現れ、「高野山(たかのやま) むすぶ庵(いおり)に 袖朽(そでく)ちて 苔の下にぞ 有明(ありあけ)の月」との歌を詠まれたのです。

醍醐天皇は「高野山と言えば空海上人である。上人は今も高野山に身を留めて衣の袖が朽ち果てるまで衆生済度をしておられるのだ。」と感じ入られ、早速新しい御衣と弘法大師という大師号を贈られたのでした。時に延喜21年(921年)、空海上人が高野山に御入定(ごにゅうじょう=弘法大師は高野山で永遠の定に入って、今でも私たちを済度してくださっているという信仰に基づいて、亡くなったことを表す入滅とは言わずに、御入定と言います)されてから86年後のことでした。「高野山 むずぶ庵に~」の歌は弘法大師第二番のご詠歌になっています。

同じ時代に活躍された最澄様と比べると、大師号をいただいたのはかなり遅かったのです。
今年は空海上人が大師号をいただいてから千百年の節目の年にあたります。十月には高野山で十一日間にわたって記念の法会が行われる予定ですが、ウイルス禍の影響でたくさんの参詣の方を迎えての執行は難しく、内々での法会になるかもしれないのは残念に思います。


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